2006年08月04日
ブログで情報を公開することで起こる良いことと困ること
ブログは自ら情報を公開しつつ、共通する関心事やテーマにきっかけにつながりができ
できれば共感していくことが魅力の大きなポイントだ。
今までは、個人は情報の受けてであることが多く、ある意味でコントロールされる立場だった。
ブログという技術的にハードルの低い道具によって、自ら情報発信するパワーを個人が持った。
ブログは個人メディアであり、コミュニケーションの道具でもある。
SNSはブログを応用した仕組みなので基本的に同じだ。
人と人のつながりが見えるSNS(私はそれは錯覚でしかないと思うが)が安心する人もいれば
オープンなブログが居心地のよい人もいるようだ。
さて
どちらにせよ
ブログを活用し情報を公開することで、
今まで不可能だったことが実現でき、新しい価値を生んでいると思う。
しかし一方で、新しい価値を生み、変化が起こることを良しとしない、あるいは不安に思う人達もいる。
人は何にでも保守と革新という気持ちを持つものなだろうか。
特に地域ブログコミュニティであるはまぞうは、身近な話題、気軽に顔を合わせられる距離感によって
、新しい人つながりやコラボレーション、参加、参画が生まれ、
個人や小さなお店、会社が元気を持とうとしている。
ただ一方で、つながりがハイスピードで広がることの対応や(コメント返すのが大変だったり)
気軽なコミュニケーションで、良く知っている友人同士のような錯覚をもったり
人とのつながりが見えてしまったり
(知り合いが多いとか、○○さんを知っているとかってことが重要なことだと思う人は
相変わらずいるし、そういう価値観は誰でももつものね)
こんな風に、今まで経験のない状況にいつのまにかなっていることもある。
私達は今、自ら
情報の出し方、伝え方、コミュニケ-ションの仕方を考えたり、学んだり
新しく起こる状況への対処の仕方を、考え創り上げていく必要があると思う。
より良いネットワークづくり、人間関係、地域ビジネスに活かせる道具なのだから
使い方、活かし方をみんなで考えていく必要があると思う。
できれば共感していくことが魅力の大きなポイントだ。
今までは、個人は情報の受けてであることが多く、ある意味でコントロールされる立場だった。
ブログという技術的にハードルの低い道具によって、自ら情報発信するパワーを個人が持った。
ブログは個人メディアであり、コミュニケーションの道具でもある。
SNSはブログを応用した仕組みなので基本的に同じだ。
人と人のつながりが見えるSNS(私はそれは錯覚でしかないと思うが)が安心する人もいれば
オープンなブログが居心地のよい人もいるようだ。
さて
どちらにせよ
ブログを活用し情報を公開することで、
今まで不可能だったことが実現でき、新しい価値を生んでいると思う。
しかし一方で、新しい価値を生み、変化が起こることを良しとしない、あるいは不安に思う人達もいる。
人は何にでも保守と革新という気持ちを持つものなだろうか。
特に地域ブログコミュニティであるはまぞうは、身近な話題、気軽に顔を合わせられる距離感によって
、新しい人つながりやコラボレーション、参加、参画が生まれ、
個人や小さなお店、会社が元気を持とうとしている。
ただ一方で、つながりがハイスピードで広がることの対応や(コメント返すのが大変だったり)
気軽なコミュニケーションで、良く知っている友人同士のような錯覚をもったり
人とのつながりが見えてしまったり
(知り合いが多いとか、○○さんを知っているとかってことが重要なことだと思う人は
相変わらずいるし、そういう価値観は誰でももつものね)
こんな風に、今まで経験のない状況にいつのまにかなっていることもある。
私達は今、自ら
情報の出し方、伝え方、コミュニケ-ションの仕方を考えたり、学んだり
新しく起こる状況への対処の仕方を、考え創り上げていく必要があると思う。
より良いネットワークづくり、人間関係、地域ビジネスに活かせる道具なのだから
使い方、活かし方をみんなで考えていく必要があると思う。
Posted by なかの at 20:03│Comments(1)
│ブログとブログ村
この記事へのコメント
今読んでる本で「手入れ」という言葉がキーワードになっています。
自然は 算数のようにああすれば必ず
こおなる というものではなく うまく付き合う
方法のひとつが 手入れ だそうです。
それが上手だったのが日本人の
手入れした里山だと。
まさに これからどう進化するかわからない
このネットワークには 少しずつ しかも終わる事の無い 手入れをすることが大切なのですね あたりまえ?
そのとき熱くなりすぎると 手段が目的化して
しまうことがありがちなので 何の為に
という意識を頭の片隅においておく事が
必要だと ふとおもいました。
じゃあどうする?かんがえます。
自然は 算数のようにああすれば必ず
こおなる というものではなく うまく付き合う
方法のひとつが 手入れ だそうです。
それが上手だったのが日本人の
手入れした里山だと。
まさに これからどう進化するかわからない
このネットワークには 少しずつ しかも終わる事の無い 手入れをすることが大切なのですね あたりまえ?
そのとき熱くなりすぎると 手段が目的化して
しまうことがありがちなので 何の為に
という意識を頭の片隅においておく事が
必要だと ふとおもいました。
じゃあどうする?かんがえます。
Posted by 民平 at 2006年08月05日 19:12